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Friday, May 25, 2007

日本人の話に続き、朝鮮人の話です。ちょっと長いので何回かに分けます。

戦前のカムチャッカは日本人のほかに朝鮮人や中国人も多く、地元の女と結婚して残った人も何人かいたようです。わたしの知り合いにも「お父さんが中国人」という人がいます。顔つきがコリヤークやアリュートルとちょっと違っておもしろいです。

◇◇◇ 朝鮮人の話 (その一) ◇◇◇

昔のこと。1936年か37年ごろだった。(カムチャッカに住んでいた) 朝鮮人が帰国を始めた。そのころ朝鮮人の中にはヌイムランの女を妻にしていた人もいた。わたしの伯母のナウヤウグトもそうだったし、ニコライの奥さんのスナもその1人だった。ニコライとスナにはこどもが7人いた。わたしの伯母のこどもはセルゲイ1人だけだった。

ナウヤウグトはわたしの母のいちばん上の姉だった。いちばん上がナウヤウグトで、次がペトリ、トナグルヌン、タトカナウト、そしてわたしの母のママク。5人きょうだいだった。ナウヤウグトはいちばん上で、まわりが止めるのも聞かずに朝鮮人と結婚してしまった。ナウヤウグトたちは長いあいだティムラトという村に住んでいた。スナもティムラトに住んでいて、7人のこどもをティムラトで生んだ。それぐらい長い間住んでいた。

セルゲイはとてもよい婿だったそうだ。遊びにくるときは、いつもいろいろな食べものをおみやげに持ってきてくれた。スナの夫のニコライもそうだった。そんなふうにして長いあいだティムラトに住んでいたんだ。

いつだったか、以前住んでいたあたりを母といっしょに歩いたとき、その朝鮮人たちが住んでいた家の跡を見つけた。何年もたっていたけどスナの家とナウヤウグトの家の跡があったよ。もうすっかり草におおわれていたけどね。

そして朝鮮人が帰国をはじめたあるとき、セルゲイは妻にいった。

「おまえはここに残りなさい。わたしはひとりで行くから」

でもナウヤウグトは聞かなかった。

「いやだ。わたしもいっしょに行く。ひとりでここに残るなんていや。すごく胸騒ぎがするから、ひとりで残ったら心臓が破れてしまうかもしれない。あなたについていって、死ぬまでいっしょにいる」

セルゲイは妻にいった。

「では出発前に (おまえの親族に) 挨拶に行こう」

それでナウヤウグトもいっしょに、わたしたちのキャンプに遊びにきた。

ナウヤウグトたちは何日かわたしたちのキャンプに泊まっていった。わたしはまだ生まれたばかりで、ほんの小さなこどもだった。まだ乳離れもしていなかった。だからそのときのことは何も覚えていない。この話は母から何度も聞いた。

わたしの母をはじめ、みんな泣いて止めた。でもナウヤウグトはどうしても夫についていく、死ぬまで夫といっしょにいるんだといってきかなかったんだよ。

(2004年8月11日 マリヤ・チェチュリナ氏[1935生]より採録 永山ゆかり)

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