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Friday, May 18, 2007

カムチャッカには戦前は日本人が2万人も住んでいて、アリュートルの人たちが住んでいる北のほうでも漁をしていたそうです。「うちのお父さんは日本語ができたよ」というおばあさんが今でもちらほらみられます。

当時の様子を語ってくれたウレイさんは1919年生まれですが、この話を採録した翌年に亡くなられました。ご冥福をお祈りします。

◇◇◇ 日本人を見に行った少年の話 ◇◇◇

昔々のこと。まだ戦争が始まる前だった。 わたしたちはカニッタルアンから、「霧のかかった川」のほうに移動しようとしていた。

「霧のかかった川」のあたりには日本人の漁場があって、わたしたちがそこを訪れたときには、皿にいっぱいに盛った米のご飯をごちそうしてもらったものだ。

その川に行くときに、ある男の子に道案内を頼んだ。わたしたちは馬に荷物を載せて運んだ。道案内の男の子は16歳だったかもうちょっと上だったか。たしか17歳だったと思う。

川まであと1キロというところで、野宿することになった。後から年寄たちが追いついてきた。夜になって、わたしたちは焚き火を囲んで話を始めた。

その男の子がいうには、漁場には日本人の男は1人もいないのだと。女しか見かけなかったのそうだ。

大人たちがたずねた。

「女しか見なかったっていったいどういうことだ。そんなはずはないだろう」

男の子が答えていうには、

「だってみんな白いスカーフを頭にまいているんだよ」

大人たちは笑った。白い手拭いを頭にまいた漁師を、この男の子はスカーフをまいた女だと思ったのだ。「女しか見なかった」と男の子はいうのだった。

これでおしまい。

(2002年2月19日 アブラム・ウレイ氏より採録 永山ゆかり)

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